仕事を辞めた僕の日常
8月いっぱいで仕事を辞めた僕。
そんな最近の僕の日常を書いた。
とにかくたくさんの人に出会う
ホームレス整体が人に出会うきっかけをつくってくれている。そしてその出会いは僕にとって全てプラスになっている。その人の生き方であったり、仕事の話であったり、今後の思想だったり。
そんな皆さんの話を聞いて、
僕は毎日刺激を受けています。
日本はまだまだあたたかい
たくさんの人に出会う中で、僕はたくさんの温かさ、優しさに触れながら生きている。
ホームレス整体の依頼者さんに夜ご飯をご馳走になったり、そのまま泊まらせてもらったり。
本当に関わってくれる人達が温かくて優しくて、毎回僕は泣きそうになる。
そして今日は僕に会いたいと言ってくださった方にお昼ご飯をご馳走してもらった。
仕事を辞めてからのここ数日は出会った人達に生かされています。
やっぱりその度に思うのはこの人達に必ず何かを返そう。という気持ち。
ホームレス整体を全力でやることはもちろん、それ以外でも助けになれたらって心から思うんです。
僕の挑戦はまだまだ始まったばかりで、これからたくさん楽しいこと起こしてやっていく。
関わってくれるみんな、ありがとう。
人生は一度きり、後悔しない道を。
頭の回転を早めることで解決できること
思ったことをその場で伝えられず、一旦しっかり思考しないといけない。そんなことが多い僕。打開策を考えた。
別にそのままでもいいじゃん、生きるのに困らなくない??なんて思うかもしれない。
いいえ、そんなことはありません。
聞いてください。
とにかくモヤモヤする
当たり前なんだけど、このモヤモヤが結構厄介。
例えばすぐに自分の意見や伝えたいことがあるのにどうしてもやらなければいけないことがあって伝えられない時。めちゃくちゃモヤモヤしませんか?
しかもそれがモヤモヤだけでは収まらず、なんだかイライラに変わってきちゃうことも。伝えたいのに伝えることのできないジレンマがそうさせる時ってありませんか?
僕はこの状態が非常に良くないな。って思いました。
ほんの少し自分の意見を話すことや伝えることを躊躇しただけでそんな状態に陥ってしまうことがとんでもなくもったいないなー。って。
でもその躊躇はその人の優しさでもあって、僕の場合、相手がどう思うかな?嫌な思いをするかな?とかできるだけ良い方向にもっていきたい結果そうなってしまう。でもそれで自分の身と心を削るのはなんだか馬鹿らしい。
タイミングを神様に操作されてる説
僕は時々、タイミングを神様に操作されてるな〜と感じることがある。例えば、お昼ご飯に行こうと思ったタイミングでお客さんが来て行けなくなったり、よーし。あと3分で少しゆっくりできるぞ〜って時にお客さんが来たり...。
その絶妙なやつタイミング絶対見計らってるやろ!?っていうことがもう毎日のように。なので期待をしなくなりました。どうせこのタイミングで動けなくなる。どうせここで休めると思ってもお客さんが来る。
そう思ってたらお客さんが来ないと思いますか?
いいえ、来ますwww
これは例に挙げたことに限らず、人生において『もうタイミング悪いな〜。』って思うことの方が多いと考えています。きっと人生はたまーに神様が操作しています。
だから自分でタイミングを作らなきゃいけない、その時間を自分で確保する。小さなことだし、何を当たり前のことを。って思うかもしれないけど、僕はそれが今までできなかった。
そしてそれ以上に根本的にずれていることがあった。
頭の回転が遅いこと
今まで時間が作れてないから、神様にタイミング操作されてるからそうできてないと思ってたけど、一番の理由は頭の回転が遅いところからきている。
僕はその場の話し合いであったり、会話の中での受け答えがめっちゃ遅い。自分の中で一度しっかり噛み砕かないといけない。
それは文面でも同じで、真面目なことであればあるほどしっかり理解をして考えて返そうとしてしまう。
けれどそれが故に返せなくなった時にそのモヤモヤが勝手に大きくなっていくのだ。これは意識することで変えられるんじゃないかと考えた。
調べてみると日記を書く、新しいことをする、人と話す、常に考える等色々でてきた。
日記はブログが代わりになる。9月からは新しいチャレンジがたくさん、人と会う機会が今までの10倍くらいになる。常に思考もするようになる。
ちょっと頭の回転早くなるんじゃないのこれ??
と思った矢先、しっかり意識して脳を鍛えることも必要だそうで。
早口で喋る、時間を決めて作業する等、明らかに僕の苦手なことが頭の回転の早さに繋がるというのだ。
それが苦手な僕からすれば、『あー、、だからか俺こんな感じなのか。』と納得せざるを得ない。
少しずつ意識して頭の回転を早めていきたいと思う今日この頃です。
人生は一度きり。後悔しない道を。
ホームレスを続けて変わった価値観
ホームレスを初めて約2ヶ月が経とうとしている。
たくさんの人の出会い、そしてホームレスの人と話をすることで僕の価値観は大きく変化した。
その一つがこれである。
ホームレス=負を払拭する ことを辞めた
僕は最初、ホームレスの悪いイメージを払拭したいと考えていた。
ツイッターで『ホームレス』と検索すれば書かれていることは悪いことばかり。
汚い、恐い、臭い
中にはホームレスが害と言う人も。
けれど僕はホームレス小谷さんという幸せなホームレスを知っている。だからどうかホームレスに対してそんな事を言うのはやめて欲しいと強く願った。
だから僕はホームレスになると同時にホームレスの悪いイメージを払拭しようと考えたのだ。
でもそれは自分のエゴだった
僕と同じくホームレスをしている人と話す機会があった。普段野宿に使う場所は僕の他にもホームレスの人が生活している。
僕はどうしてホームレスになったのか聞いてみた。
※僕はみや、そのホームレスの方をAとします。
みや『どうしてホームレスになったんですか?』
A『仕事がうまくいかず鬱になり、働けなくなってしまった。』
A『お金を払えずに家をなくしてしまった。』
みや『生活保護は受けようと思わなかったんですか?』
A『生活保護を受けられることは知っていたけど、どうにか自分でちゃんと仕事をして自立をしたかった。けれどそんな気力もなくなってしまった』
鬱になりやすい人ほど、無理をしやすく自分のことを自分で追い込んでしまいがち。生活保護という制度があるけれど自分で頑張りたいからそれを使おうとはしない。
Aさんと話をする中で、僕が感じたのはこの人は今まで頑張りすぎて、無理をしすぎて自分で自分を追い込んで折れてしまったんだろうなぁということを感じた。
みや『生活保護はこれからも受けようとは思わないですか?』
A『思わない。今の生活でいい。』
A『先のことはあまり考えたくないな』
Aさんの知るホームレスの中ではやはり鬱になりホームレスになってしまう方は少なくないという。
それを聞いて僕の中の価値観が一瞬で変わった。
僕は僕のためにホームレスとして生きる。僕を見てくれる人にホームレスなのに幸せそうじゃんって思ってもらえればそれでいい。
そう決めた。いくら僕がホームレスのイメージを払拭したところで僕はその人達をどうすることもできないことに気づいた。
だから僕はただ自分のためにホームレスでも幸せになれることを伝えていく。
そしてもう一つ知ってほしいのは誰にでもホームレスになる可能性を持っているということ。
ホームレスだから鬱になる。
ではない
鬱だからホームレスになる。
これは多くの人に知ってもらいたいこと。今の不景気な世の中だからこそ、その可能性は多くの人に可能性があるということを覚えておいてほしい。
人の優しさで生きる
日本はまだまだ温かい。人の優しさ、人情が。僕はその優しさで生きたい。おこがましいと、図々しい奴だと思われるかもしれないけど。その分僕ができること、返せることがあれば力になる。
僕はやっぱり人の温かさを感じながら生きていきたい。
そんなことを最近は思う。
きっとまた多くの人の考えや価値観を知って変わることがあると思う。この生活ならなおさらだ。
それでもやっぱり人の優しさで生きたいっていうことは変わらない。
たくさんの気付きがあるそんな生活。
これからもホームレスとして頑張っていく。
人生は一度きり。後悔しない道を。
野宿をして過ごすということ
ホームレスみやです!!
今日は野宿について書いてみました。
まずなによりも困るのがこれ。
全身、蚊に刺される
夏の今の時期の悩みはこれ!!!やっぱり水辺とか緑があればある程、蚊はたくさんいるもんで。対策として肌が出ないようにしたり顔面にはタオル巻いて。
フルフェイスのマスク買おうかな、、なんて考えてます。
けれどどうだろう、
それでも朝起きたら全身蚊にさされ!!笑
どゆことや!!!!
蚊って服突き抜けて刺すの?って思ったら微かな隙間から匂いを頼りに侵入してくるとか。
恐るべし蚊。
野宿には虫除けスプレーが超必須。
意外に寒い
夏だから暑いんじゃないかー?なんて思うよね?
夜中〜早朝にかけてはめっちゃ寒いんです。ヒートテック着てその上に半袖着てその上には薄手のウィンドブレーカー着て首にタオル巻いて。下は長ズボン履いてやっと暖かい。
びっくり!!!じゃあ冬はどうなっちゃうのって話しで!!ホームレスの先輩も冬は絶対に野宿をしちゃだめだよって教えてくれた。
対策を考えねば。生きることにこんなに必死になるなんて人生でそう体験するもんじゃないなって常に思ってる。
寝心地は...
そんなに悪くない。笑
選ぶ場所は人気の多く、交番が近くにあるところ。交番が近くにあるのはマジで安心。それでいて警察が声をかけてくることもない。同じように安全面を考えてかわからないが、僕の他にもホームレスが寝ている。
寝袋があればなお良し!!というところ。ただやっぱり地面が固いのは当たり前で。なのでダンボールを使うのも当たり前になってくる。コンビニとか道端にすら落ちてることもあるくらいで、ダンボールはすごく便利!!柔らかいだけでなく、地面の冷えや、逆に熱などを遮断してくれる効果がある。
終電逃して寝床に困っちゃったぁ(汗)なんてことがあれば是非その辺のダンボールを活用して地面で寝ていただきたい。
雨が降るときは屋根があるところへ
いや、当たり前!!!笑
雨が降ると、若干寝心地が悪くなる、というか、伸び伸び寝れない場所へ。(普段の寝床ではもう伸び伸び寝ています。)
テントなんかあればすごくいいなーなんて思うんだけど法律的に都内公園でのテント使用は禁止されてるとのこと。もちろん路上でテントなんて使えないし...。
雨の日はできるだけ野宿を避けるために全力で助けてくれる人を探すようにしている。
まとめ
野宿はやっぱり身体が全回復!!っていうのが中々難しくて、寝るときにも気合いをいれるようなそんな感覚。けれどさっきも挙げたダンボールとか寝袋があればさらに大きく変わってくる。
なんかもっと最高な場所があるんじゃないかって思う。
ホームレスの人との情報交換が大切だなって思うところで、そんなことを意識して生活していく。
毎日、あー生きるってすげーことだな。って実感しながら。
そして布団で寝れるときは布団半端ないな。って本当に毎回思うんです。
さぁ、明日も生きていくよー。
人生は一度きり。後悔しない道を
aho quality 初月のPVと活動報告
こんにちは、ホームレスみやです!!
ブログaho qualityを初めて一ヶ月が経過しました!!
そのPV数が、、
5411PV
でございました。
記事数は22。
目標としていたのが5000PVで、記事数はもう少しあげる予定だったけど、目標もばっちり越えてくれた!!
スタートとしてはかなり満足できる結果でした!!
実はまだアドセンスは導入していないので、来月からしっかり運営という形をとっていきます。
方向性
僕はやっぱり今の生活のことをメインに発信していこうと決めました。
もちろん色々関連性のあることや、興味がある事、自分の強みや知識があることは発信していきます。
けどやっぱり『ホームレスのリアル』を伝えていこうと決めました。
感謝の気持ち
見ず知らずの自分のブログを読んでくれている人に感謝の気持ちでいっぱいです!!そして少し不思議な気持ち。
本当にありがたいです。発信したことに対して反応してくれる人がいることが何より励みになります!!
本当に簡単な報告になりましたが、今月からまたガンガン書いていきまーす!!
これからも宜しくお願いします!!!
元ももクロガチヲタの僕が体験した珍エピソード
今日は僕がももいろクローバーZ、通称ももクロに捧げた3年間の話を珍エピソードを混じえて書いてみた。
ももクロの名を聞いたことがないという人は少ないかもしれないが、超簡単に紹介しておこう。
ももいろクローバーZのメンバー紹介。
ももクロをまとめる頼れるリーダー!!
出典ももいろクローバーZ(ももクロ)歴代メンバーまとめ。 - NAVER まとめ
かつてのみやの推しメン!ニックネームはしおりん!!
出典ももいろクローバーZ(ももクロ)歴代メンバーまとめ。 - NAVER まとめ
ももクロ最年少!曲の煽りやMCなどを担当!!
出典ももいろクローバーZ(ももクロ)歴代メンバーまとめ。 - NAVER まとめ
ずば抜けた歌唱力、そしてダンスが得意!!
出典ももいろクローバーZ(ももクロ)歴代メンバーまとめ。 - NAVER まとめ
ももクロの飛び道具!!曲中ではネタ要員と自分で言っている。
出典ももいろクローバーZ(ももクロ)歴代メンバーまとめ。 - NAVER まとめ
この超個性豊かな5人で結成されているアイドルグループ
出典http://www.momoclo.net/profile/
これが
ももいろクローバーZ!!
そして僕は10代後半~20代前半の青春をももクロに捧げた!!
YouTubeに流れてきた動画で、
ももいろクローバーZを知った。
それがきっかけでどハマりし、ライブに行くようにまでになった。人生初のアイドルのライブは少しの恥ずかしさと大きな期待を胸にドキドキしながら西武球場に向かったことを今でも忘れない。
当時AKB48の勢いが凄まじく、ももクロがメジャーデビュー2年目にしても、日の目を見ることはあまりなかった。もちろんファンは多くついていたがその頃からアイドル戦国時代と言われるほどで、やはりAKBと比較されてしまうことが多い。
当時の友人も、ももクロにハマった僕を全力で馬鹿にしてきた。特に目立った功績もなく、いやいや!!ここが凄いからももクロ!!というわけにもいかず、ただ心の中で、『お前ら見てろよ...』と静かなる炎を心中に灯すことしかできなかった。
そんな僕がライブを重ね、様々な体験をした。
それがこれである。
父親の気持ちになった
まさかの父親の気持ち。
ももクロメンバーを始め、姉妹分のアイドルグループが出演する祭典に参戦した時のこと。
3BJuniorという当時平均年齢が10代前半に到達するかしないかくらいの姉妹グループが出演し、ライブを始めた。
小学生の子達が一生懸命に踊る姿を見て、
あ、これ娘の運動会を見るお父さんの気持ちだ
そんなことを感じた。
そして口も回らないあどけない少女達のMCはまるで我が子の選手宣誓を目の当たりにしているような感覚だった。それを見て僕は
がんばれ!!!がんばれ!!!!
帰ったらママがお前の大好きなグラタン作って待ってるぞ!!
と心の中でエールを送った。(まともだよ、大丈夫だよ)
そして次がこれである
好きな人を前に照れるアレ
まだそれほど世にももクロの名が知れ渡っていない頃、ももクロメンバーが自分達の手でグッズ販売をする『手売り』と呼ばれることを行っていた。
ももクロの人気も出始め、バイトやスタッフがグッズ販売をするのが当たり前になった頃、告知もなく急にももクロメンバー本人達の手売りが始まったのだ。彼女たちから買うことができるのはその頃では超レアなことだった。そして何よりメンバーと話をすることができるのだ!!!もちろん僕もその現場に居合わせていた。
5人のレーンができて完全にランダムで列に案内され手売りが行われる。つまり自分の推しているメンバーから必ず買えるわけではなく運がモノを言う。
並び順はこんな感じ。
○がファンである。フアンにみえるけどファンだ。机越しにメンバーと話すことができる。
知っている方も多いと思うが、ももクロのライブは自分の推しの色と同じ服の色を着て参戦することが多い。当時僕は玉井詩織推し。僕もその時は全身真っ黄色だった。
こんなチャンスはもう二度とない!!!しおりんから買えますように!しおりんから買えますように!と願うも叶わず、一つ隣の百田夏菜子のレーンだった。
夏菜子がレーンに向かう全身黄色の僕をみて笑う。自分推しではないことに気付いていたのだ。
そして気を利かせてくれたのか、しおりんの自己紹介を唱え始めた。すぐ隣のしおりんも僕がしおりんを推している事に気づいている。
しおりんの自己紹介は最後に『レッツももクロちゃーん!』と言って締めるのだが、夏菜子がいよいよその一言を言うところまで運んできた。しおりんも僕を見ている。そしていよいよ夏菜子の目配せで僕に最後のパスが回る。
そして、僕は、、、
ちょ、待って!!恥ずかしい!!!///
いや、童貞か!!!!!!
あの時のみやにツッコミを入れろと言われたらこれがベストマッチだろう。僕は自分より何年も年下の女の子に対してその一言を言えずに終わったのだ。完全に好きな子を前にしてもじもじしてしまうアレである。レッツももクロちゃん...。こんな簡単な一言が言えないなんて。淡く苦い思い出として今も脳裏に焼き付いている。
最後はこれ。
ももクロのライブで死にかけた
前回25年の人生で死にそうになったことをランキングにまとめた記事を書いた。
しかし、これには載せていない外伝がある。
恋人たちのクリスマスイブに事は起きた。
12/24のももクロ クリスマスライブに参戦した時のことである。
朝早く起きて、グッズを買いに会場に向かう。
会場到着の時刻は8時。1月に近い朝の冷え込みは半端なくその時期の平均気温は4、5度くらい。とにかく寒い。
そんな極寒の中、半袖の上に薄手のトレーナーを一枚着て、下はあろうことか短パンにレギンスを履いただけの超軽装備だった。
気持ちが昂ぶっていたせいか、家から駅に向かって歩いてる時は寒さも感じず、電車も暖房がめっちゃ効いていて気付かなかった。
そして現地に到着し列に並ぶ。
グッズ販売までの時間はおよそ2時間。
ライブが楽しみすぎて自分が軽装だということすら気付かなかった。(馬鹿)
そして30分頃が過ぎてある違和感に気付く。
あれ?寒くね?
むしろ30分よく耐えてたな、いや15分くらいから何か変だった。
とにかく身体がガッッッチガチに震えてきた。気付けば前の人は、『おや?これから南極ですか?』並みの超厚着をしている。後ろを振り返ると、『おや?北極帰りですか?』並みの超厚着をしている。
とにかくみんな、超厚着で来ていた(当り前)
あと1時間30分を耐えるのは無理だ...。みんな余裕しゃくしゃくの中一人だけ尋常じゃない震え方。
人は寒いと熱を作り出すために震える。そして筋肉の収縮(筋肉がぎゅーっと縮む状態)も激しいのだが、まさに僕の筋肉は全身が超収縮していた。
特に収縮が激しかった筋肉がこれである。多分短パン、レギンスという薄着のせいで寒さにさらされていたのが原因だろう。
出典http://therapistcircle.jp/daitaishitoukin/
出典http://matome.naver.jp/m/odai/2140349162679141001
ここの筋肉が収縮するとどうなるかというと、、、、
こうなる。
完全再現するとこう。
なんか黄色い奴がバテてるwww
みたいに見えるけど違う。態勢を戻そうとすると収縮した筋肉が激しく痛む、かつ強固すぎて真っすぐに立てない。僕は完全におじいちゃん化した。同時に激しい頭痛と吐き気が止まらない。
こんな体験初めてだ!!死ぬ!!!
それでも僕は何度も何度もギブしそうになりながら耐え抜き物販を終えた。
その後すぐに身体を温めなくてはいけないと思いすぐさま近くのラーメン屋に駆け込んだ。まだ全身の収縮はとけない。
注文を取りに来たお兄さんにラーメンを注文する。まず僕はスープだけ提供してもらえないかと頼んだ。吐き気がしてラーメンは食べれない。けれどスープだけなら飲める。
もちろんあっさり断られた。
それなら普通にラーメンを。そして
スープめっちゃ熱くしてください
と頼んだ。店員さんはかなり困惑していたが僕はもうそれどころではない生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
ラーメンがやってきた。
僕は全力であっつあつのスープを飲み干す。
ラーメンを食べ終わったあとのこれらが王道の画である。
スープが残っている、
もしくはスープがちょい残り
理想の形。
ラーメン作ってる人が励みになるやつ。
僕の場合はこうだった。
スープだけ飲み干しラーメンには一切手をつけられず。。。これにスープだけを投入したならそのまま『一丁上がり!!!』と別のお客さんに提供できる程だ。
本当に申し訳なく思った。けれど本当に食べれる状態ではなかった。
それでも体調は回復せずだったが何とかライブを終えてその夜シャワーを浴びる。
その日のシャワーが人生で一番気持ちかったことを一生忘れないだろう。ホームレス生活で浴びれていなかったあの時よりも。
そして皆に伝えたい、冬は是非厚着をしよう。
ももクロを好きになったことで貴重な体験がたくさんできた。ありがとうももいろクローバー。
ホームレス生活が母親に知られた。その後。
以前、内緒にしていたホームレス生活が母親に知られてしまったことについて書きました。
今日はその後の出来事を。
伝えることの大切さ
前の記事で話したが、最初は連絡先も消す、連絡はもう取らないと言われた。
僕はその瞬間から色々覚悟をした。これからは家族と会うことはないのかな、これが最後の連絡かな。とか色々めぐった。
僕は母から縁を切られる覚悟だった
僕も中途半端な気持ちでこの生活を始めたわけではなかった。もし縁を切ると言われてもそれでホームレスを辞める気はもちろんなかった。
けれど最後に僕は母への感謝や、想いを伝えなければいけないと思いあの記事を手紙のように気持ちをのせて書いた。
母は僕を応援をしてくれるようになった
そしてそれを読んだ母から連絡が返ってきた。
僕はその内容を見て、涙が止まらなかった。母は僕のことを『私の息子でよかった』と言ってくれた。
今まで伝えれなかったことを伝えられたことそれだけで十分だったのに、更に今の僕を応援してくれるようになった。
もちろん母は心配を圧し殺して応援してくれることはひしひしと伝わっていた。
その日から僕はツイッターでの発信もブログも含めて母に心配をかけないようにしなければいけない、そう決めた。
僕はホームレス小谷さんのように幸せなホームレスとして世間一般が持つホームレスへの負のイメージを払拭したいとずっと思っていた。
だからキツイ面や辛いことはSNSに書くことを控えていた、母が見ているなら尚更だ。
でもその面を伝えなければいけないと思った。それがリアルであり、実体験なのだから。
それを知ってもらった上で幸せなホームレスと呼ばれるようにならなくてはいけない。
それからはキツイこともどんどん書いていった。そうするとやはり母から連絡がくる。
そこでも僕は全部知ってもらいたい!!ということを伝えた。
身近な存在が応援をしてくれるということ
そうすると返ってきたのは『いつでも帰っておいで』というメール。
僕はとてつもない安心感に包まれた。
帰る場所がある安心感、そして家族という一番身近な存在が自分を肯定してくれることがどんなに安心感があって強くなれることか。それを知った。
これは、きっとどんな人にも必ず共通して言える。
これからチャレンジしようとしてる人にとって家族の応援は一番の大きな力に、そして原動力に変わると。
僕はその家族の応援無しに、自分で覚悟を決めて今の生活を始めた。そこにはたくさんの葛藤や悩みがあった。その経験もあってか他の人とは違う強さを僕はもっている。
家族が応援してくれる安心感からくる力ではなく、孤独であるために強くならなくてはいけないような。
けれどその覚悟や、悩み、葛藤は僕の大切な芯の部分を太く丈夫にしてくれた。そして自分でもわかるほどに強くなった。
更に家族の応援が加わったのだ。僕のメンタルは今物凄い強くなっている。
親から見れば子供はずっと子供のまま
自分がどんなに成長を実感したとしても、たとえどんなすごい仕事をしていようと、オリンピック選手になって活躍していようと、親から見た姿はずっと昔の子供のまま。自分自身は大人になっていたって、きっと親から見える姿は小さい子供のまま変わらないのだろう。
いつまで経っても心配はきっと尽きない。そして信頼することでその心配を埋めていく。
きっとそれはどんな家族にも言えるんだろうなぁ。
本当に伝えることができてよかった。
もっと挑戦をしていく
これから僕はまだまだチャレンジしていける。大切な家族であったり、大好き友人であったり、応援してくれる声がある。僕にとってそれが大きな力に繋がる。
それがあるのとないのでは大きな違いだ。
皆がいるから僕は真っ直ぐ前を向いて歩いていける。
そして皆に力を借りた分、僕は全力で助けに行く。それが僕の一つの理想の生き方。助け合いの生き方。
これからも出会いを大切にしていく。そして肯定することを大切にしていく。肯定してあげること、理解しようとすることは大きな安心感に繋がることを知っている。
人と接する時にはそれを大切にしていく。
これからもまだまだ突き抜けていきます!!!!
人生は一度きり。後悔しない道を。