今、縛られていると感じるあなたへ。本当の自由とは?
あなたは今、自由ですか?
もし感じていないならそれは何故か考えたことがありますか?
今日はそんな自由について考えてみた。
そもそも"自由"とはなにか
Google先生によるとコチラ
1.自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「―な時間をもつ」「車を―にあやつる」「―の身」
2. 勝手気ままなこと。わがまま。
3.《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
フリーに動けますよー的なことを言ってるね。
自由については人それぞれ意見が分かれると思いますが、その中で僕が考える自由はこれ。
身軽なこと、そして精神的に、金銭的に縛りのないこと
どこにでも好きな時に好きな所へ行ける時間を持っていて、身軽であること。
そして精神的に縛りがないということは心にストレスがかかっていない状態。
精神的ストレスの要因は仕事や人間関係と、たくさんあるけれど、僕の言う身軽さと結びつけると、その状態を作り出すのは金銭的に余裕があること。
あくまで実体験になるけれど、
お金がなければ精神的ストレスは大きい。
そしてお金がなければ働かなくてはいけない、つまり自分の"時間"を仕事に費やすことになる、
その時点で身軽さは失われている。
もし精神的にも金銭的にも余裕があればどこにでも行けて、好きなことができる。
けれどその自由には限りがある
労働収入のことを指して物を言うけれど、石油王や大富豪でない限り僕の言う自由は永遠に続かない。
その一時の自由は本当の意味で自由と言えるのだろうか。
めちゃくちゃ考えた。
本当の意味で自由ってなんだろう。
坂爪圭吾が唱える自由
皆さんは坂爪圭吾さんをご存知でしょうか??
僕は坂爪さんをとてつもなくリスペクトしている。そんな坂爪さんが以前自由についてこんなことを話していた。
自由とは、常にやりたいことができる状態のことだと思っていたけれど、最近は【自分が消えた状態が自由なのだ】と思うようになった。自分が自然と同一化して消えた時、楽しさも寂しさも悲しみも喜びもない、ある種の『無』だけが残る。自分が透明になるほどに、多分、すべてが自分になる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月10日
え?ちょ、どゆこと??
一つも二つも先を行き過ぎていて理解できない。
リスペクトしている坂爪さんの言葉。さすがだ、、、
その後に自由についてこんなことも。
成功する自由もあれば、失敗する自由もある。やりたいことをやる自由もあれば、やりたくないことをやる自由もある。自分の生き方を大胆に変える自由もあれば、何もしない自由もある。多分、自由じゃない人なんてひとりもいない。それぞれが、それぞれの形で、それぞれの自由を行使している。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月4日
やりたくないことをやる自由
生き方を変えない自由
自由じゃない人はいない、
そもそも何にも縛られていないということ。
だから例えば働き詰めの人であれ、あの上司嫌い。仕事も嫌い。でも行かなきゃ。ていう状態の人も一律して自由ということ。
確かにそうだ。その人の意思でそうしているんだ。
辞めようと思えば辞められる、踏み出せる。
ただ、そうしないのは自分の意思。
会社が辞めさせてくれない?
そんなの法律が許さない。
変える勇気がない?
結局踏み出さないだけ。
なんて考え方だろう。
とても衝撃的だった。
これを見て僕の中の自由についての定義が定まった。
自由とは、、、
自分らしく、ありのまま自然体でいること
お金がたくさんあって、自分がフリーで動けるなら自由。それは僕の中では間違いだったと気付いた。
それらがないと自由ではないという固定概念。
もちろんお金や仕事がなければ生活できないじゃないか。と言われればそうだけど、そういうことではない。
自由とは常に自然体でいられること。
それを考えれば僕の今の生き方、仕事だったりこれからやろうとしていること全てを含め自由だったことに気付いた。
金銭的に余裕がなく、仕事をしなければならない、時間も奪われる。確かにそう聞けば不自由かもしれない。
けれど、お金、仕事の概念を除いてただ"生きる"という観点からみてみれば自分らしくありのままの僕の生き方は紛れもなく自由なのだ。
『仕事』や『お金』に対して自由という言葉は働かない。
『生きる』ということに対して自由という言葉は働く。
自由とは、常にやりたいことができる状態のことだと思っていたけれど、最近は【自分が消えた状態が自由なのだ】と思うようになった。自分が自然と同一化して消えた時、楽しさも寂しさも悲しみも喜びもない、ある種の『無』だけが残る。自分が透明になるほどに、多分、すべてが自分になる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月10日
僕が唱える自由とは少し違うけど、
このことも少しだけ理解ができた。
大切なのは疑問を持つこと、そして考えることだ。
そして人から教わることがたくさんある。
もっとたくさんの人と関わりたい。
そんなことを思う今日この頃。
あなたは今、自由ですか?
人生は一度きり。後悔しない道を。