あほくおりてぃー

想いを伝える

母への想い



ホームレスの生活や僕の活動のことは母には話してこなかった。

しかしそれが遂に知られてしまった。

連絡があり、『何をしているの。』と。

もう連絡もしないとも言われた。
僕は色々な想いが脳内をめぐった。

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母の偉大さ、母の頑張り


母親はとてもしっかりしていて、僕のことを女手一つで育ててくれた。

それがどんなに凄いことかは、
その時は理解できなかった。

でも小さいながらに、仕事が大変そうだな〜という姿は目に焼き付いている。

大人になって実際に仕事をしてみてお金を稼ぐということがどんなに大変なことかを知り、それでいて子供を育て家事をする事はどれほど負担がかかるだろう。

多分僕が想像する以上に、遥かに辛いだろう。


しかし、頑張っていたのは母だけではない。




僕の想い、僕の頑張り


僕が小学生の低学年の頃、父親が家を出ていくということになった。いわゆる離婚である。

それを当時知らされていなかった僕はめちゃくちゃに混乱していた。そしてたくさん泣いた。

父と母間で話し合い、小さい子に"離婚"を伝えるのは難しいと判断したらしい。


夜一人で母の帰りを待つのはとても寂しかったことを今でも覚えている。

人の顔色をうかがう、というより人の気持ちがわかる方だった僕は小さいながらにして、その寂しさを母親に伝えてはいけない。そう思い、その寂しさを我慢していた。それを打ち明けたことも多分なかったと思う。

それを伝えてはきっと親の負担になってしまう、そんなことを考えていた。



母親も想像がつかないほどきつかっただろう、大変だっただろう、だけど同じくらい僕も頑張っていた


口にせずとも母親もそれを理解していたと思う。

母と子でお互いに信頼していたからこそ、その時期を乗り越えられたと思うし、普通なら不良やヤンキーの道に突っ走ってしまいそうなシチュエーションもなくはなかったが、やはり母親の背中を見ていればそんな道に走ることもなかった。

やはり母は偉大なのだ。改めてこれを実感する。







コミュニケーションが取れないこと


しかし、どうしても母が仕事で一緒に過ごす時間が少ない分コミュニケーションを取る時間が少なかったと今ではとても感じる。

もちろん、お互いの性格も関係しているとは思う。

僕は自分のことをベラベラと喋るタイプではなかったし、母親も過去のことや自分のことを話すタイプではなかった。

今でも母親の過去のことは知らないことがたくさんある。

そんなこともあり、中学、高校に上がるにつれ段々と深く話すことも少なくなった。

更には高校卒業後はすぐに一人暮らしが始まったので尚更である。

僕が感じている通りやはり、コミュニケーションの取れなさはかなりあったと思う




母と僕


性格的に真反対の性格である。

母はテキパキと物事を片付けたりこなしたり、抜け目ない性格である

それに比べ僕はスロースターターでゆるっゆるだ。

なんでこうも真逆か。。と思うと程である。


そうなるとやはり考え方も真逆なことが多かった。

そして衝突、というよりも僕が母親に一方的にガーっと言われることが多かった。





伝えることをしなくなった


そんなこともあってか僕は母親に自分の考えや想いを話すことが嫌になっていた。

そうなるといよいよ僕の考えていることがわからなくなったりしたと思う。

僕も将来の話をするのは避けたいと考えていた。

だから仕事を辞めたいと話した時も、バックパッカーをしてみたいと伝えた時も、唐突にその話だけポンッとされて。

母に怒られることも今考えれば当たり前だな、と反省をするところである。

そして何より理想と現実の差。
僕は言うことだけはいっちょまえ。

ただ、その理想を実現させるプロセスが甘い。
考え方が甘い。そんな自分がいるから余計である。





僕は親不孝者だ


普通に考えて息子がホームレス生活をしているということを理解してもらえると思わなかった。

そして、それを説明する自信がなかったのも事実です。

いつかばれるだろうな...と負い目を感じながらこの生活をしていた。


あー。親不孝だなー。心配ばかりかけて。
この生活が始まる前からずっとそんなことを考えていた。

でも知られてしまったことは仕方ない。

これから大切なのは僕が元気でやっているということを発信していくことだと思う。


やらないと気が済まない


僕はかなり馬鹿だ。

何かやろうとしてることや、考えに対して既に経験がある人が意見をくれる。

もちろん耳を傾けるが、それでも

自分でやって確かめないと気が済まない。

経験している人、僕より何倍も生きている人がそう言うのだからきっとそうだろう。

でも忘れてはいけないのはあくまでその人の価値観、その人のフィルターを通して感じたことである

考え方や感じ方は人それぞれ。だからこそ、すべての人の意見を鵜呑みにしては僕が僕でなくなる。

しかし、その意見をくれる人は気付いてからじゃ遅いよ!!!という心配で話してくれる。

とてもありがたいし、感謝です。


細心の注意でその物事に臨む。無茶はしない。

その意見をくれた人たちのおかげで危険なアンテナをキャッチできるように準備もできていろいろな事に取り組める。


『起きた後じゃ遅いんだよ...』

正直なところ、このセリフを言われると僕はどうしようもない気持ちになる。

わかっているけどやらないと気が済まないんだ。

馬鹿なのか何なのかすらわからないけど、、本当に自分の目で見ないとだめなんだろうなぁ、、、




母への感謝の気持ち


僕は小さな頃から母が大好きだった。

3歳頃だっただろうか。
お風呂からでて母親がいないことに気付き外まで裸で追いかけたことがあるらしい。笑

とにかく母のことが大好きだった。

今でもその気持ちは変わらない。

この世にたった一人の大切な母親だ。

僕をここまで育ててくれたこと、学校へ行かせてくれたこと、怪我をした時に心配してくれて助けてくれたこと。

全部全部本当に感謝している。

同時に尊敬もしている。


母の育て方は決して間違いではない。
僕にたくさんのことを教えてくれた。



けれど、どうしたって僕と母は考え方が真逆なのだ。

母が安定思考ならば僕は冒険大好き
的な感じである。

親が育てたからといって、子供がその親と同じ考え方になるわけもないのだ。


考え方は人それぞれ。
捉え方だって人それぞれ。

どんな意見も間違いではない。
間違いでなければ正解でもない。

母の意見は決して間違えじゃないけれど、
僕の中では正解ではないし。

僕の意見が間違いではないけれど、
母にとっては理解できないことでもある。


その見えない溝を言葉を並べて説明しても埋めることは僕は多分出来ない。


もう行動で示すしかない。そんな気もする。


その為にはもっと自分がメンタル的にも身体的にも強くならなければいけないと感じた。




わがままで、自分勝手だろう。


それでも信頼して僕のことを見守っていてほしい。


本当に本当に、わがままである。
甘いということも知っている。
けれど僕はもうこの生活や、これからのチャレンジを止める気は全くない。


それでも、もう僕のことを見てられない。というのであればそれも仕方がないと思う。

それでも僕は突き進むだけで変わらない。






人生は一度きり



僕が悩んでいる時に、
ある人がかけてくれた言葉があった。

親の反対でやめるくらいなら、挑戦しない方がいい

これを聞いてから吹っ切れたことを今でも忘れない。

母のことは大事だし、大切だけど、
それ以上に僕の一度きりの人生が大切。


これである。

母がいつも話していた。人生は一度きり と。
小さな頃からそれを聞いて育った僕はいつしか後悔はしてはいけないと思った。

だからやらない後悔よりやる後悔。


これを大切にしていこうと思う。







最後に


母への感謝は忘れない
これからもずっと。

そして大切な、
たった一人の母親。

親不孝者でごめんなさい。
あなたの育て方は間違いではなかった。
むしろ感謝しかない。

人生は一度きり、後悔しない道をいく。





僕が大切に持ち歩いている写真。


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たくさんぶつかるし、すべて投げ出したくなることもあったけど、やっぱり母は大切な存在です。